オホーツク流氷を飛ぶ白鳥

 本年(2010)3月いっぱいですべての専任/非常勤職から解放され自由を満喫しています。現在最もエンジョイしているのは、野鳥観察とそれに関連したエッセイを草して地元の野鳥の会々誌に投稿することです。  


  野鳥の観察は現役時代から始めて、かれこれ四半世紀になります。初めのうちは大学構内や裏山、そして六甲山や甲子園浜などの近場をまわっていましたが、そのうち遠く北は北海道、南は小笠原の父島・母島、西は石垣島・与那国島まで、そして標高で言えば富士山の五合目、立山の室堂、戸隠あたりまで遠出をするようになりました。季節も極寒の納沙布岬あり、酷暑の南西諸島ありです。2年前の夏にはチャーター船で歯舞・色丹島沖をまわるグループに加わって、エトピリカやウミガラス、ミズナギドリ類など外洋の鳥たちを観てきましたが、そこは夏でも真冬の気候でした。  


  これまでに約360余種を観ましたが、それらが多様な環境に実に巧妙に適応しているのを知って驚くとともに、その適応の隅々にまで物理・化学的原理が貫徹していることを思い知らされ、自然淘汰・性淘汰を含む生物進化の秘密を垣間見せられる思いです。また先年韓国を訪れて、渡り鳥には国境がないことを実感させられました。  


  鳥たちはまた、人間にとって単に生物学的存在であるだけでなく、もっと幅広い文化誌的存在でもあります。鳥たちは記紀や万葉の時代から文芸作品の中に取り込まれており、人麻呂の千鳥、大津皇子の鴨、家持の雲雀、西行の鴫、芭蕉の鷹などなど、作者の心情が鳥たちを通 して吐露されている例は枚挙にいとまがありません。鳥の命名もまた文化誌の一部です。学名、各国での公式名称や俗称などの意味を辿っていくとなかなか興味深いものがあります。こういう視点をも取り込みながら、ここ4年ほどで、10数編のエッセイを発表してきました。書きながらつくづく思うのは、専門の論文で極力排除してきた抒情的表現が、エッセイでは実に自由だということ、そしてそのことが自分にはこんなにも楽しいことであったのかと、今更ながら驚かされます。  


  鳥以外にも楽しみはあります。能楽鑑賞や飛鳥・奈良の史跡巡り、そしてたまに誘われればゴルフもします。 近況は、もちろん楽しみばかりではありません。人並みに、地球環境の問題、国内外の政治・経済的困難、我が国の教育問題から、わが家の子供や孫たちの将来、自らの老いの問題まで、悩みや愁いの種は尽きることがありません。これらの問題についてはいずれゆっくり書かせてもらう機会があろうかと思います。  


  長い沈黙の後のご挨拶ですから、ひとまずこの辺で筆を措きます。

         2010年12月14日記

 

 




佐々木 薫
 

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